四季の短歌 4
短歌の無断転用は、原則禁止とします。
怪し咲く釣鐘草の明月院夏色まぶし北条の院
2016年初夏に訪れた、あじさい寺で有名な北鎌倉明月院、
山門をくぐった左にある、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権北条時頼の「北条時頼廟」での1首です。
静かな北条時頼廟の前には、ひっそりと釣鐘草が咲いていました。
木蓮の散りゆき頃は遠き日の雪降る墓の父母を想ふや
木蓮の花が咲く頃は、何故か、故郷の今は亡き父母を思い出します。
何故だろうか? 父母も姉弟もすでに亡くなり、今は一人になりました。
音が鳴りハッと振り向き見渡せばまた静まりてひとり竹の春
鎌倉英勝寺の深閑とした竹林の中でファインダーを覗いていたときの出来事です。
「竹の春」……竹の子として成長した若竹も、秋には立派な竹となり、親竹も青さを取り戻すため、「竹の春」と呼びます。また、竹を切る時期も、この頃が選ばれる。 滅多に咲かない「竹の花」も、たいがい秋に咲くので、秋の季語とされています。
冬ざれる白幟見やる杉本寺石段苔に朝冬に入り
2017年12月6日の早朝の杉本寺、人ひとりいない境内の、石段、仁王門、白幟、苔石段、観音堂、鐘楼、七地蔵尊等々、
まだ鮮明に記憶しています。
これから冬に入る寒さが、忘れられません。いい時間でした。
おのこ去り端午の兜小さくも想いは遠く赤夕化粧
二人の男の子も去り、今年も、兜飾りは小さいミニュチア兜になってしまいました。
子供と過ごした端午の節句に想いを馳せていると、道端にはひっそりと赤花夕化粧が咲いていました。
静かなる沢蝉しぐれ夏の日の二頭の蜻蛉秋をむかえし
蝉しぐれの夏の日、静かな緑道の沢で二頭の蜻蛉が止まっていました。
まるでこれから秋を迎えるような。
皮剥ぎて空に伸び往く若竹を眺めて初夏の風香を感じ
親水緑道の若竹が、皮を剥ぎとりながら伸びて往きます。
そんな若竹を眺めていると、初夏の風香をすごく感じてしまいます。
追憶の五月雨降り息をとめ静寂の糸ただ見つめをり
小学生の追憶の原風景を絵にしました。
追憶の中の私は、五月雨が降り続く様子を、息を止めて見つめていました。
ただただ静寂の糸を追うように。
凍てつきぬ畔の小鷺に息をとめ痺れる指は初撮りの朝
正月2日の初撮り。
凍てついている池の湖畔に小鷺が佇んでいます。
カメラのシャッターを押す指はすでに寒さで痺れてきました。
蜻蛉きて羽根をひろげし梅雨の間にくる夏の日はまだコロナ禍や
緑道の沢で、梅雨の合間に蜻蛉が羽根をひろげて止まっています。
これから訪れる夏は、まだまだコロナ禍かな。
夏椿君恋ゆるほど懐かしく初夏の香りを梅葉に隠し
夏椿をみると、懐かしき日々を感じてしまいます。
初夏の香りが梅の葉に隠れて匂ってくるような。
コロナ禍の君と過ごせし故郷の吾子も帰らぬ初春の朝
まだまだ続くコロナ禍で、我が子も帰れない初春の日々。
そんなコロナ禍の朝を、君と二人だけで過ごしています。
コロナ禍の蝉声弱くウズウズと晴れぬ合間の長梅雨の風
コロナ禍が続く長梅雨の日、蝉声も弱くまだ夏はこれからです。
時々梅雨の合間に吹き抜ける風に、夏の近さを感じています。
花嫁と吾子の幸せ祈りつつ見やる神楽は浦安の舞
我が子の結婚式です。
花嫁と我が子の幸せを祈りながら見つめていると、式はもう最後の儀に入り、
神子さんが、神楽の「浦安の舞」を踊っていました。厳粛な結婚式でした。
なにげない倦怠の朝はそら色にウロコ雲みて我息を吸い
倦怠が続く朝は、空のうろこ雲をみて深呼吸をして気持ちを高揚させます。
何気ない朝の呼吸法。