四季の短歌 3
短歌の無断転用は、原則禁止とします。
なが雨の傷の痛みに雨音がシトシトひびく初夏の湿月
今年の梅雨は長雨です。
まるで傷の痛みに雨音が響くように、しっとり湿った初夏が訪れようとしています。
生還のいちとし過ぎし君の笑は頬和らぎて夏を待つらん
七月九日の日。妻が病気から生還して一年が過ぎました。
やっと元気になった君の頬は和らかく、夏を待って笑っています。
ありふれた喧噪過ぎし九春に平成の御代静かにおわり
もうすぐ令和を迎え平成の御代が終わります。
世の喧噪をよそに、粛々と平成の時代が終わることを感じています。
ふるさとの釜臥山の麓たつ墓標をおもい令和をむかえ
明日の5月1日より令和を迎えます。
昭和、平成、令和の三代を生きることを確認し、故郷のお墓に眠る家族を想いつつ、令和を迎えたいと思っています。
春や夫婦四十年早過ぎて令和の御代も君のピースで
夫婦40年の日を迎えています。
翌月の5月1日からは新しい元号「令和」を迎えます。
次の令和の時代も君のピースサインでともに歩みます。
春待ちて梅咲く池の畔にて竦む青鷺も春待つらん
梅が咲く池の畔に、一羽の青鷺が身じろぎもせず佇んでいました。
青鷺も春を待っているのだろうか。
陽向路の木瓜の花さく年の瀬をそろりと歩く君に乾杯
病気退院後の養生をしていた妻が、木瓜の花が咲く年の瀬の頃に、やっと歩けるまでに回復しました。
乾杯です。
朝顔は夏季に目覚める花ならず秋を彩るただ花となり
秋に咲く朝顔は、暮れ往く秋の気配を彩る花のようです。
もしかしたら夏の花ではないかもしれない。
送り火の妻の手をとり家に入り妻は静かに母の手をとり
父の送り火のあと、病気退院後の妻の手をとり家にいざないました。妻は静かに病床の母の手をとり、
父の送り火を報告していました。
ねぶた見に来しことありし遠き日はいま亡き父母と姉弟と
ねぶた祭りの季節になると、なぜか今は亡き父母、姉弟と、ねぶたを見に行った子供の頃を思い出します。
文月の熱き大気に風そよぎ九日の日に君生還せり
文月の九日の日、妻が病気から生還しました。
その日は暑くなりつつある風が心地よくそよぎ、安堵の一日でした。
桜咲き彼岸が明ける愛猫に妻が捧げる椿一輪
桜が咲きほこり、彼岸が明ける日に、
妻の愛猫に捧げるように、椿が一輪咲いていました。
足踏みて雪の小川の水清き今日は初登校の水芭蕉
少年の頃、春の初登校の日はいつも雪解けの小川に水芭蕉が咲いていました。
朝の清々しい大気と清らかな水の色が、鮮やかに記憶に残っているのはなぜだろうか?
睦月雪しんしんと梅うもれても今日は68祝い酒の夜や
梅が咲き、昨夜の雪が降り積もります。
雪が解け、また春らしい花をかざしひろげ、ひかり輝く今朝は、六十八才の誕生日です。今宵は祝い酒か。
白幟を越えて上りし茅葺堂古き御像に暫し息を吐き
坂東三十三観音霊場杉本寺にて
奉納幟が立ち並ぶ急こう配の石段を上り、途中で一息するおばあちゃんを追い抜き観音堂へ行き着くと、冬に入る古きお堂の佇まいに少し見入ってしまいます。
ねんねこの背の子温もり感じつつ冷たい冬日梅の花が咲き
子供の頃の冬の原風景のひとつが、ねんねこに包まれる子供とお母さんの姿です。
今はもうねんねこを使う母の姿を見ることはありません。