四季の短歌 2
短歌の無断転用は、原則禁止とします。
まだら美の色あざやかに杜鵑草花いつも触手のように伸び
秋の花咲く鎌倉長谷寺にて
長谷寺の山門をくぐりすぐ前の庭園の池のほとりには、今年も濃赤紫の斑点が色鮮やかに杜鵑草が咲きひらいていました。花はいつも貝の触手が伸びているようにみえます。
ひかり落ち花絡み逢う秋桜の東慶寺朝まだ二人きり
北鎌倉東慶寺を訪れました。
夏目漱石の参禅百年記念碑を右手に山門をくぐり、参道を進んださきの松ヶ岡宝蔵の前には、秋の秋桜が咲きみだれ、ひかり輝く朝の境内はまだ二人きりです。
ぶらぶらと上りし坂の洋館は住み人わかる味がするよう
鎌倉文士ゆかりの鎌倉文学館を訪れました。
長谷観音前から由比ヶ浜大通りを進み文学館入り口を左に折れ 、翔鶴洞を抜けて上り終えると、そこには、古き洋館が建っていました。
黒蝶がふらふらと寄り曼珠沙華秋は東慶寺の時迅し
秋の東慶寺を訪れると、曼珠沙華が咲き群れ 、黒蝶が飛び交っていました。
東慶寺は時の速さを感じる寺です。
野鳥飛び百日紅咲く川辺には初夏の翡翠を狙いし人も
野鳥が飛び交う川辺には、
百日紅の花が咲き、翡翠を狙うカメラマンの人々も行きかいます。
唐きびを売りし翁の初雪草我が磊落の夏はじまりて
夏が近づくと、畑では初雪草が咲き、おじいさんが唐きび売りをはじめます。
そして今年もらいらくな夏が始まります。
向日葵が咲き始むころ空ふかく今年も長閑色透きとほり
ひまわりが咲き始まるころ、
空はいつも透き透りのどかな色合いに満ちていきます。夏来たりの色かな。
梅雨晴れの半夏生みて仰ぎみるそら三渓の三重塔
三溪園の池沿いに咲く半夏生の花をみて、空の彼方を見上げると、そこにはいつも三渓の三重塔が綺麗に見えます。
夏兆す朝の河原をゆきゆけば香にながるるはブオブオの蛙
夏が兆すころに河原をぶらぶらと歩いていると、
牛蛙のブオブオという声が聞こえてきます。夏の香りのように。
コロコロと鈴なり美人すれ違い鎌倉の路ふと振り返り
鎌倉の路を歩いていると、ときどき着物姿の美人とすれ違うことがあります。
コロコロとなる鈴の音につられて、私はふとふりかえってしまいます。
山ノ手の外人墓地のブラフから海を眺めて春ながれ舞い
山ノ手の外人墓地のブラフ公園から海を眺めると春の風を、
桜舞のように感じてしまいます。
木蓮や外人墓地へゆく道はブラフの春をのぼりのぼりて
外人墓地へ向かう道は、紫木蓮が咲き、ブラフ公園の春を満喫しながら、山ノ手の文学館へ上ります。
結婚三十八年の日は花菜いつもの二人春日和なり
結婚三十八年の日。
小川には花菜が一杯に咲き誇り、いつもの二人。
これからも春日和のように。
木蓮の花はらはらと散りしころ今亡きひと何故か思い出し
木蓮の花が散るころには、いつも今は亡き家族のことを思い出します。
木蓮のはらはら感のせいかな?
人生の六十七を手ぶらにし身軽に生きて春たちにけり
六十七才のリタイアの日。
人生の手ぶら感を満喫し、また一から生きる春が来たような。
木蓮の花咲く頃に故郷は雪舞い降りて白銀世界
木蓮の花が咲くころ、北国の故郷はいつも雪のなかです。
今年も雪の降り積もる銀世界かな?